【自民党憲法改正草案】見やすい対照表で現憲法との違いが分かる!

現行憲法と自民党の憲法改正草案を比較する。憲法改正草案とQ&Aは、自民党公式HP上のPDF 『憲法改正草案 Q&A』より転載。

「次の朝鮮戦争は北朝鮮による日本攻撃で始まる。その理由は反撃という軍事行動がないから」(国際安全保障研究機関)

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北朝鮮が今後、実際にどのような軍事行動を取るのか。アメリカではいま官民挙げてこの予測を大展開している。北朝鮮がその警告通りにミサイルを撃ち込むのか。それとも攻撃の威嚇は単なる脅しなのか。あるいは実際の軍事行動を伴うのか。アメリカの政府や議会、そして軍の研究機関から民間の研究所、マスコミまで、それぞれに分析や予測を進め、公表するようになった。

 アメリカの専門家たちの予測の中で特に関心を引かれたのは「次の朝鮮戦争は北朝鮮による日本攻撃で始まる」という見通しだった。その理由は、日本が北朝鮮からの攻撃に対してあまりに無力であり、反撃などという軍事行動がまず考えられないからなのだという。この点の指摘は、まさに戦後の「平和・日本」が、自国への軍事攻撃はもちろんのこと軍事的な反撃など夢にも考えずに国づくりを進めてきたという特徴を突いていた。

【スカボロー礁(2012年)】 中国は、フィリピン領のスカボロー礁の領有権を主張し、監視船を派遣するなど軍事的圧力をかけて緊張状態が続いている

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スカボロー礁(黄岩島)
 1998年、中国漁船4隻が領海侵犯し、フィリピン海軍に拿捕されて51名の漁民が拘禁される。 1999年5月23日、中国漁船とフィリピン海軍が衝突。中国外交部スポークスマンはフィリピンへ抗議。 2000年、中国漁船が領海侵犯し、フィリピン海軍が中国漁船船長を射殺。

 2012年4月8日、中国漁船8隻がスカボロー礁近くに停泊し、フィリピン海軍が漁船を拿捕。中国の監視船が現場に急行し、フィリピン海軍の進行を阻止して睨み合う状況となる。 2012年4月17日、フィリピン外相は国際海洋裁判所に判断を仰ぐ提案をしたが、中国は拒否。 2012年9月3日、中国国家海洋局は、スカボロー礁・西沙諸島・尖閣諸島の周辺海域を「海域動態監視観測管理システム」の範囲内に組み込み、人工衛星や航空機で遠隔監視している。

【ミスチーフ礁(1995年)】 中国漁船は台風からの緊急避難と称してフィリピン領のミスチーフ礁に建造物を作り、その後軍隊を駐留させて占領を続けている

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 1995年、中国は、フィリピン領南沙群島東方のミスチーフ礁に、中国漁民のための避難施設を建築した。フィリピン政府は「主権の侵害である」と抗議した。しかしその後、中国は航空機を伴なった中国艦艇や海洋調査船を派遣したため、フィリピンとトラブルが頻発したが、中国海軍が優勢であった。

 中国はこのミスチーフ礁の施設は「中国漁民の活動を支援するための施設である」と主張して強引に建設作業を行なっている。1999年には、鉄筋コンクリートの建物を四棟、大型の船舶が停泊可能な岸壁及びヘリポート等を建設して実効支配を確立した。

【スプラトリー諸島海戦(1988年)】 中国は、ベトナム領の南沙諸島の赤瓜礁を攻撃、戦闘に勝利して支配下においた。

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スプラトリー諸島海戦(1988年)
 1980年代、中国は海洋調査船による海洋調査を開始。1987年、中国海軍艦艇がこの海域での行動を開始。1988年、南沙群島西方の永暑礁に漁民を上陸させて、中国領土であることを示す主権碑を設置。ベトナムはこれに抗議して軍事衝突になった。

 1988年3月14日、ベトナムが統治していた南沙諸島の赤瓜礁を中国が攻撃。ベトナム海軍は三隻の艦艇を撃沈され、75名が戦死。中国政府は「自衛の行動であった」という声明を出した。

 戦闘に勝利した中国はこの地を統治下とし、赤瓜礁のほか、永暑礁、華陽礁、東門礁、南薫礁、渚碧礁などを手に入れた。その後中国はコンクリート等で建造物を建築し、「中国 赤瓜」、「祖国万歳」の文字を掲げている。

 2010年3月、中国政府は南シナ海を、自国の主権および領土保全と関連した「核心的利害地域」と見なしているとの立場を示した。

【西沙諸島の戦い(1974年)】 中国は漁船で紛争を引き起こし、ベトナム領の西沙諸島を武力で奪取した。

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西沙諸島の戦い(1974年)
 1974年1月15日、ベトナム海軍が西沙諸島を哨戒に訪れた。すると島に中国国旗が立てられており、沖に中国の漁船が碇泊しているのを発見した。ベトナム海軍は中国漁船に退去を命じ、陸上の中国国旗を狙って威嚇射撃を行った。

 1月17日、中国とベトナム双方は増援部隊を現地に派遣。

 1月19日、本格的な交戦状態となった。交戦でベトナム艦隊は次々と損傷し沈没。

 1月20日、中国軍が上陸し、航空機の援護の下で占領した。地上戦で南ベトナム軍は100人が死傷した。

 中国軍は、島に4階建ての建物やヘリポートを整備し、戦車部隊やミサイル艇を駐留させるなど要塞化を進めた。漁船を突出させて紛争を引き起こすという中国の常套手段は成功し、ベトナムは西沙諸島から完全に追い払われた。その後中国は2600m級の滑走路を有する飛行場を建設し、南シナ海支配の戦略拠点としている。